藤原恭大の母親はモデル?実家(焼き鳥屋)と兄の名前は?

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高校野球界の名門である大阪桐蔭高校を卒業後、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団した藤原恭大(ふじわらきょうた)選手。

千葉ロッテマリーンズで高卒野手48年ぶりの開幕スタメンを勝ち取り、3年目となった現在も活躍を続けています。

野球の実力もさることながらプロ野球界屈指のイケメン選手としても注目されていますが、そんな藤原恭大選手の甘いマスクは、モデルをしていた母親の影響という噂があります。

また、兄弟での甲子園を夢見たお兄さんとの関係性なども気になります。

ということで今回は、藤原恭大選手の母親がモデルだったという噂の真意やご実家の家族構成などについてまとめてみました。

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藤原恭大(ふじわらきょうた)の家族構成は?

藤原恭大(ふじわらきょうた)選手の家族構成ですが、ご両親と2歳上のお兄さんの4人家族です。

父親の史成(ふみあき)さんは、藤原恭大選手が小学生のときに所属していた園和北フレンズで監督を務めていました。そして、お兄さんも同じ少年野球チームに所属していました。

藤原恭大選手は、野球一家で生まれ育っていたのですね。

今の藤原恭大選手の野球の実力は、小学生の頃から史成さんから熱心な指導を受けていたことや、一緒に練習ができるお兄さんがいたことが大きく影響しているかもしれませんね。

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藤原恭大の母親はモデルだった?

藤原恭大選手の母親である道子(みちこ)さんは、モデルだったという噂がありますが、実際にモデルだったという事実は出てきませんでした。

ただ、藤原恭大選手が高校時代にインタビューでテレビ出演をしていますが、身長181cmの藤原恭大選手と肩を並べるほどの長身で、きれいな顔立ちをしています。

道子さんがあまりに美人だったため、モデルをやっていたという噂が出てしまったのではないでしょうか。

いずれにせよ、藤原恭大選手の甘いマスクは、道子さんの影響を大きく受けていそうですね。

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藤原恭大と母親のセンバツ連覇のエピソードが泣ける!

藤原恭大選手は、高校3年間で4度の甲子園出場し、3度優勝という輝かしい成績を残ししていましたが、怪我に苦しんだ時期もありました。

高校2年生の秋頃、練習中に右膝を負傷。冬場の走り込みやウエイトトレーニングは、高校球児の体力や筋力向上にとって非常に重要である時期ですが、藤原恭大選手は別メニューでの練習を余儀なくされました。

どうしても焦る気持ちが抑えられない藤原恭大選手に、病院への送迎をしてくれていた母親の道子さんは『焦らないで、今出来る事を考えて』という言葉をかけたそうです。

その言葉を聞いた藤原恭大選手は、足が難しければ打撃強化をしようと打撃フォームの改善に取り組みました。

春のセンバツ甲子園が開幕後、宿舎から道子さんへ『悔いなくフルスイングします』と手紙を送りました。右膝の状態で万全ではありませんでしたが、4番打者として出場し、打率.364(22打数8安打)7打点とチームを牽引。チームのセンバツ連覇に貢献しました。

藤原恭大選手の真面目な性格をよく知る道子さんだからできるアドバイスだと思いますし、

それを聞き入れて実践する藤原恭大選手の素直さがわかるエピソードだと思います。

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藤原恭大の父親の職業は?実家は焼き鳥屋?

藤原恭大選手の父親である史成さんは2016年から道子さんとともに、大阪府豊中市にある焼き鳥屋さんの経営を行っています。

藤原恭大選手は2000年生まれですので、藤原恭大選手が16歳の時から始めたことになります。

焼き鳥屋さんを始める前の史成さんの職業についても調べてみましたが、情報が無く職業を特定することができませんでした。

藤原恭大選手が所属していた、大阪府豊中市の少年野球チームの監督をしていたので、監督業と両立のしやすい職業だったのではと思います。大阪府豊中市付近で飲食店などの自営業か、土日がお休みの仕事に就いていたのかもしれませんね。

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藤原恭大の実家の焼き鳥屋の店名は?地元の有名店!?

藤原恭大選手の父親である史成さんがオーナーされている焼き鳥屋さんですが、『たんば地鶏花火』という名前のお店です。

元々『炉羽庵(ろうあん)』という名前で2016年6月オープンしていましたが、藤原恭大のファンが多く駆け付けたこともあり、店長さんが体調を崩してまったため2018年2月に1度閉店。

その後スペースを縮小し、現在の『たんば地鶏花火』という店名にリニューアルオープンしました。

大阪桐蔭高校OBの方や元阪神タイガースの選手も常連のお店で、テレビ出演をするほど地元では有名店です。

また、千葉ロッテマリーンズ戦のテレビ視聴も可能で、藤原恭大選手がホームランを打った時は、お店にいるお客様全員にドリンク1杯無料サービスを行っています。

店名の『花火』には、藤原恭大選手にたくさんホームランを打ってほしい由来が込められているようで、史成さんとしては、このサービスができなくなるくらいホームラン(花火)を量産してほしいと願っているでしょうね。

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藤原恭大の兄の名前は?PL学園出身?

藤原恭大選手の2歳上兄は、海成(かいせい)さんというお名前です。

高校時代は当時大阪の強豪校であったPL学園の野球部に所属していました。

藤原恭大選手もPL学園へ進学を希望し、兄と2人での甲子園出場を夢見ていましたが、PL学園野球部の度重なる不祥事により部員募集を停止したため、PL学園への進学は叶いませんでした。その2年後に野球部は休部となったため、海成さんは休部前最後の部員となりました。

兄弟での甲子園出場は叶いませんでしたが、『恭大は身体能力が高い。他の選手にも絶対負けないから自分の力を信じろ』と思いを託した弟の藤原恭大選手が甲子園で大活躍し、プロ野球選手になったというのは、お兄さんとしてはとても誇らしいでしょうね。

海成さんはPL学園を卒業後、大阪経済法科大学に進学し野球を続け、現在は先ほど紹介した、父の史成さんがオーナーをしている『たんば地鶏花火』で働いてます。

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藤原恭大の母親はモデル?実家(焼き鳥屋)と兄の名前は?のまとめ

・母親の道子さんがモデルだったという噂がありましたが、実際にモデルだったという事実はありませんでした。

・実家の焼き鳥屋は、『たんば地鶏花火』という店名で、テレビ出演をするほど地元では有名店です。

・2歳上の兄海成さんは、PL学園野球部出身。兄弟での甲子園出場を目指していましたが、PL学園野球部の不祥事により部員募集停止したため、藤原恭大選手は大阪桐蔭への進学を決意しました。

 

藤原恭大選手のご家族についてまとめていく中で、家族から支え応援されている暖かい野球一家で育ったのだと感じました。これからも藤原恭大選手の活躍をご家族と一緒に応援したいですね。

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